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二宮金次郎(尊徳)について

 尋常小学校の修身科教科書で、孝行・学業勤勉・家業手伝い・倹約・奉仕などの徳目を守り生活する幼年の金次郎が、子どもの模範として取り上げられたのがきっかけでした。
明治44年に出版された唱歌の国定教科書には「手本は二宮金次郎」という歌が載せられました。
   芝刈り縄なひ草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、
    兄弟仲よく孝行つくす、手本は二宮金次郎。
   骨身を惜まず仕事をはげみ、夜なべ済まして手習読書、
    せはしい中にも撓まず学ぶ、手本は二宮金次郎
   家業大事に費をはぶき、少しの物をも粗末にせずに、
    遂には身を立て人をもすくふ、手本は二宮金次郎
 このような金次郎のその少年時代の姿を、具現化して銅像や石像や陶像に彫刻した二宮金次郎像を、みんなが模範としたのです。

○この薪を背負って本を読む二宮金次郎の姿のルーツは、狩野派が描いた中国の高官図にありと2010年3月31日の京都新聞文化欄に掲載されている。

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『二宮金次郎についての伝記

 1787年、今から220年前に、二宮金次郎は生まれました。
 金次郎の家は、お父さん、お母さん、2人の弟と、みんなで5人家族でした。
 田畑でお米を作ったり野菜を作ったりする農業という仕事です。
 お父さんは体が弱いため、満足に仕事ができません。お父さんは仕方なくたくさんの借金をしまし
 た。だから、金次郎の家は、貧乏のどん底です。
 食べ物を買うために、お父さんもお母さんも一生懸命働きます.今のように保育園がありませんの
 で、弟の面倒は、金次郎が世話をします。
 5才の金次郎は、1日中弟の子守をしながら、おうちのお手伝いをします。にわとり
のえさやり、産んだ卵を集めて、並べておく。弟のおむつの取り替え、ご飯作り、みんなみんな金次郎の仕事です。
 金次郎は勉強をしたかったのですが、学校に行けませんでした。なぜなら、おうちの手伝いをしな
ければならなくなったからです。
 金次郎が12才の頃にお父さんが亡くなりました。
 いよいよ金次郎の毎日は死にものぐるいでした。朝は太陽が昇らないうちに、真っ暗な内に起きて
薪をとりに行くのです。
 昼はのら仕事、畑で働くことです.お父さんがいないから、お母さんと一緒に野菜を毎日毎日作る
のです。
 夜は、縄をなったりわらじを作ったり、これを夜なべ仕事と言うのです。
朝の薪とり、昼の野良仕事、夜の夜なべ仕事、来る日も来る日もこれの繰り返しでした。けれど、
金次郎は少しもへこたれません.へたばるどころか、益々元気です。
 よく食べて、真っ暗な内に起きて、片道4キロの山々に、薪をとりにいってくるのです。この往復の時間が、金次郎の勉強の時間になったのです.
「学問」の本や、自分の好きな本を、懐に入れて出て、太陽が昇って明るくなってくると、読み始
めるのです。行きも帰りも、熱心に読みふけりました。
 人が変な顔をしようがしまいが、お構いなしで、声を出して読んで歩きました。苦しいはずの薪と
りも、途中の勉強が楽しいので、少しも苦しくありませんでした。
 山から薪をとれるだけ取って、肩や背中が、ミリミリ痛くなるのも気がつかないで、読みながら来
ますと、弟の友吾が、その又、弟の富治郎をおんぶして、家の近くで、お兄ちやんの金次郎を待って
いました。
「お兄ちゃん」呼ばれても金次郎は気がつきません。「兄ちやんたら。」それでも気がつきません。
9才の友吉は(4年生か3年生かな)追っかけてきて、腹を立てて泣き出します。つられて、2歳の
富治郎も背中で泣き出します。
 金次郎は、そこでやっと気がついて、「おお、友書か。これこれ、富治郎もいたか、二人してなぜ
なくんだ?」とこんな調子です。
 金次郎は小さな弟が、もっと小さい弟をおんぶしている姿を見ると、昔の自分を思い出すし、なぜかお父さんが恋しくなってきました。でも、お兄ちやんとして真面目に頑張るのです。
 さて、金次郎に、またまた、悲しい事が起きてしまいました「お母さんが病気でなくなってしまっ
たのです。さすがの金次郎もこのときばかりは、体中をふるわせて、お母さんの体にしがみついて泣
きました。
「なぜ死んだの、なぜ死んだの、お母さんのバカ、お母さん生き返ってきて・‥・」
 優しいお母さん、なつかしいお母さん、お母さんは金次郎にとっては、この世の何ものにもかえら
れない人だったのです.
 しかし、金次郎は、二人の弟をじっと見つめて、心に決心しました。何時までも泣いているときで
はない。しっかりしよう。
 それから、金次郎は働いて働いて働きまくりました。本を読んで読んで読みまくりました。
 兄弟も離ればなれになって暮らさなければならなくなっていました。金次郎は、めげませんでした。
兄弟そろって暮らせるようにするための目標を立てました。真面目で嘘をつきませんでした。苦しく
てもがんばり抜きました。
 そして、大人になった金次郎は、貧しい人々のために、困っている人々のために役に立つ仕事をし
ました。少年時代に頑張った読書や働きが実を結んだのです。
                   博物館専門委員津田氏の二宮金次郎調査レポートより