陶人形展展示の三平陶房の作品紹介
「鬼の寒念仏」
寒念仏とは、浄土宗系の寺々で大寒を中心に、寒中をついて行う念仏の事で、この行事がさかんだった頃、寒念仏は冬の季語として通用していた。
江戸の初期、俵屋宗達は「風神雷神図」を描き、たいそうな評判となった。この傑作絵画を見た画人が、大津絵の画題にし、様々なデザインのユーモラスな鬼を生み出したといわれる。
大津絵の中でも、最も人気を博したのがこの鬼の寒念仏であった。
鬼は、僧の衣を身にまとい、手には鉦を持ち、唐傘を背負って、二枚歯の下駄を履いている。 鬼の片方の角が折れているのにはそれなりの理由がある。角は「我」の象徴であり、角が折れると、鬼も一人前になるという教えである。
ユーモラスな鬼の表情を、陶人形にて表現する。
「紫香楽宮万葉人形」
奈良時代に聖武天皇が造営した滋賀県甲賀市信楽町宮町の紫香楽宮(しがらきのみや)(742〜745)跡から平成9年に出土した木簡の両面に、それぞれ和歌が墨書され、うち1首が万葉歌だったことが分かった。4500首以上の歌を収録している『万葉集』だが、木簡に記された歌が見つかったのは初めて。木簡は『万葉集』の成立以前に書かれた生々しいドキュメント史料で、歌集成立の過程などを探る画期的な発見。
木簡に記されていたのは、『万葉集』巻16に収録されている「安積香山(あさかやま) 影さへ見ゆる山の井の 浅き心を我が思はなくに」と、「難波津(なにわづ)の歌」として知られる「難波津に 咲くや木の花冬こもり 今を春べと咲くや木の花」の一部。木簡の表裏に、古今和歌集仮名序で「歌の父母(ちちはは)」と記された難波津と安積山の歌が、古今集より160年前の奈良時代からセットとして書かれていたことが、研究者を驚かせている。
皇族や貴族たちが居並び、「安積山(あさかやま)の歌」が朗々と響き渡る。詠み上げるのは長さ60センチの木簡を手にした役人たち——。万葉歌木簡は宴会や儀式で使われたとされ、「歌会」の様子を浮かび上がらせる。
千二百年の時を超えて遠い古代への夢をかきたてる当時の人たちを紫香楽万葉人形として、制作しました。